めちゃくちゃ正直にっき

毎日優しい文を目標に

「べき」

遅くなっちゃった!

 

今日は猫とイチャイチャしながらゆっくりしてたのですが、

 

 

自分について久しぶりにゆっくり考えを掘り下げることができました

 

元々このブログは自分があれこれ思う思想などを書いて発散する場だったのですが、

最近は忙しくて物思いにふける時間が無くブログが書きづらかったなぁと

 

 

私は結構「こういう時はこうしなきゃ」といったものに縛られがち

 

しかも、そういう勝手な思想を無意識にそれを人に求めてしまうからタチが悪い

 

全ての怒りは「〜すべき」から始まるって何かの本に書いてあって納得した思い出

 

 

「若いんだから立ってるべき」とか「皆と同じようにするべき」とか、

世の中には見えないけとたくさんの「べき」がある

 

本当に守らなければならない「べき」もあるけれど、ただの思い込みや慣習も混在してることも事実

 

そういう当たり前を「なんで?」って思える人や、ぶっ壊せる人は凄いなぁって思う

 

「べき」に従って思考停止して行う作業は楽だもんね

 

たまには枠からはみ出すのもいいんじゃない?って思う

 

派手な服を着たりメイクしたっていいじゃない

 

だって誰も傷つけてないんだから

 

笑う人がいるなら逆にその人を笑ってしまえばいい

 

人の格好にケチつけるなんてサイテー

 

と言いながら派手な格好をしてる人を思わず見ちゃう自分がいたり

 

なんでも受け入れられる人になりたいな

 

「いいんじゃない?楽しいんなら」って

他人を丸ごと受け止められる超人

 

そんな人にたまに出会うて本当に尊敬しちゃいます

 

 

懐の広い人間を目指します

 

 

新しいこと

今日もいまいちな天気ですねぇ

 

土曜日なので今日はお出かけします

 

今日は今までしたこと無いようなおしゃれをしてみました

 

新しいことをするのは楽しいですよね

 

もちろん慣れてないからガタガタでぐちゃぐちゃで、あんまり綺麗には出来なかったんですけど

 

「どうせ綺麗にできないから」と諦めていた頃の私より

 

綺麗になってる気がします

 

なんでも挑戦は大切ですね

 

家族も褒めてくれたし

 

何かすると必ず褒めてくれる環境って、めちゃくちゃありがたいですよね

 

不安な気持ちが吹っ飛んで ルンルンしちゃう

 

私も誰かをそんな気持ちにさせられたらいいな

 

短いですが今日はこの辺で!

 

では、いってきます

ぐらぐらと安定

今日はちょっとだけいいことがあって

 

ちょっとだけ嫌なことがある日でした

 

まぁ全部がオールオッケーな日はなかなか無いもんね

 

マジで笑っちゃうくらい全然ダメな日はあるけど

 

本当に〜!?って笑っちゃうくらい不幸続きだと笑うしかないし楽しくなるよね

 

他人事でも自分事でも不幸は甘いのかもしれない

 

あんまり幸せすぎると不安になる難儀なこの性格

 

ちょっとくらい不幸な方が安心するよね

 

幸せは当たり前にあるべきっていうけど

 

不幸がなきゃ幸せなんて概念は無くなっちゃうからね

 

不幸、嫌いじゃないよ

 

程々に幸せ 程々に不幸が1番いいんじゃないかなあ

 

 

人が人生で味わえる幸せには限度があると思う

 

あまりにも大きな幸せがドカンドカンと続く方が私には恐ろしい

 

幸せが大きければ大きいだけ不幸も大きなものに襲われる気がする

 

かといって品行方正に真面目に正しく生きても時には犯罪に巻き込まれたりで残酷に死んだりするし もうどうすればいいのやら

 

 

なんだか綱渡りしているみたい

 

生き抜くにはきっとバランスが大切

 

どちらに比重が傾いても綱から落ちてしまう

 

落ちそうで落ちない ゆらゆらと揺れながらゴールに辿り着けたらいいな

 

今日は嫌なことがあったな、って落ち込んでも

こないだ幸せだったからバランスをとったんだなって思えれば少しはマシかもね

 

皆、長生きしようね〜

 

隙あらば殴られる的な

もう夕方ですね

 

やっと私をココ最近悩ませていた課題が一段落し安心しています フゥ

 

まずは一安心っと

 

 

差別

 

生きていく上でほとんど考えたことの無かったキーワードです

 

差別される人がいることも認識していたけど、どこか他人事で

 

 

 

こないだ遊びに行った時のお話

 

その日は共通の趣味を持つ友達同士の集まりでして

 

「せっかく同じ趣味を持つんだから、その趣味にまつわる服を着ていこう!」という話になり着飾ってお出かけした訳です

 

まぁ見られる見られる

 

なんならお婆ちゃんに睨みつけられさえしましたよ

 

一応いいますが胸をほおり出すような見苦しい格好はしてませんよ

幅も取らない、まぁ目立つよね〜って感じの服装

 

そんな格好なので、多少見られることは覚悟してたので気にはしていなかったです

 

 

しばらくして、ちょっと年若めの子達が私達に気づきました

 

周りと同じようにちょっとニヤニヤして見て

 

ここまではいいんですけど

 

 

どうも盗撮してるっぽい

 

スマホを一瞬向けてニヤニヤした後何食わぬ顔で自撮りをし始めて

 

めちゃくちゃ嫌な気持ちになったし、犯罪じゃんって思ったんですけど、証拠がない

 

 

盗撮って指摘しづらいんですね

されてる側は絶対に気づけない 気づいたとしても、証拠がない

 

だってカメラで撮られてる瞬間や動作は盗撮してる側からしか確認できないから

 

だから黙ってやり過ごすしか無かったです

私が単に自意識過剰なだけだったら本当にいいな

 

 

どうして好きな服を着ているだけで差別されるんでしょう?

 

逆に言えば、好きな服を着ているだけで笑われるくらい差別は様々なところに潜んでいる

 

見慣れないものがある 怖い、変だ 

 

それは仕方ないとしても

 

見慣れないものがある、あるいはいる

だから写真とろう 動画で拡散しよう

だってそんな格好してる方が悪いんでしょ?

 

これは絶対にダメでしょ

 

目立つものはとりあえず叩く世の中ってめちゃくちゃ異常なのでは?

 

あと、最近の子は昔の人より自由な価値観を持っているからフラットな意見を持ってると漠然と信じてしまっていたのですが

 

別に大して変わらないんだなぁと

 

むしろ厄介なオモチャを手にしてる分危険度はあがっているな そんな人ばかりじゃないんだろうけど

 

自分が面白ければ周りはどうでもいいですか?

 

いつか貴方も いや今まさに同じように他の誰かから笑われてるのかもね

 

早くそれに気づければいいけど

 

 

 

 

 

ごめんなさい

とうとう毎日更新を破ってしまった...だと……

 

やっちまったー!イヤー!

 

それだけがプライドだったのにぃぃぃぃ

 

ふえぇ じゃあ明日 じゃない今日朝になったらまた更新すればいいか

 

 

寂しいよね

 

何か 仲良くない人と交流せずに"そこにいる"という体温だけを感じたくてブログをやってる節がある

 

人は好きだよ でも怖いね 怖いし億劫

 

一人でいるより集団の方が孤独は痛く感じるし

 

人間は、好きなんだけど嫌い

 

人がいるから悩みも尽きないし

 

 

でも関わることをやめたら 悩まなくなったら私は一生変わることなくこのまんま死んでいくだけになる

 

それは 嫌だなぁ

 

 

人を傷つけたり傷つけられたりしないと 馬鹿な私達は本当に大切なことに気づけないように創られてしまっている

 

あの時ああしなければ良かったのにと後悔しつつ、ああしたからこそ今の自分があることに気づいて

 

何かを得る時は同時に何かを無くす瞬間でもあるんだろう

 

例えそれが絶対に手放したくないものだったとしても

 

離さなければならない時がある

 

残酷なプロセス

 

生きとし生けるものは皆何かを手に入れながら少しずつ何かを無くして生きていく

 

代わりに手に入ったものだけを抱いて生きていくしかない

 

 

せめて代わりに手に入ったものがいつか宝物になりますように

 

痛い思いをした気持ちが報われますように

 

 

 

優しいプチ家出

 

何かに打ち込む人は美しい

 

目標を持ってそれを達成するために努力する人は、凄い

 

私は何もしたことない

 

いいなぁ、そんなに熱くなれて と思う

 

行動力が無いわけじゃない

 

大した経験じゃあ無いが、随分前に1度も乗ったことのない新幹線にたった1人で飛び乗って京都まで行ったことがある

 

どうやって調べたのか なぜそんな動源力があったのかわからない

 

ただあの時は無性に家から出たかった

 

親に心配と迷惑をかける私は家にいてはいけないとアホなことを考えた末の極安全なプチ家出気分の小旅行だった

 

京都にいる友達を頼って泊めてもらい、1泊2日でろくに観光もせず終えた小さすぎる小旅行

 

その後友達に誘われて再び新幹線に乗ったがチケットの買い方などまるっきり忘れて困った

 

 

1人で新幹線に乗る帰り道が好きだ

 

段々と見慣れた夜景が近づいて来る感じや、普段じゃ味わえないようなスピードで移動する新幹線特有の乗り心地

 

新宿のビル郡がいくつも夜の空に伸びていて、人工的な明かりが宝石みたいに瞬いている

 

あれってタワーマンションってやつかなぁ

いつか住んでみたいなぁ

 

なんてことを考えながら旅の疲れでだるい体と重い荷物を引きずっていつも使う冴えない電車に乗り込んで、家路に着く

 

思えば随分甘ったれたプチ家出だったなぁ

 

アレコレと親に面倒を見てもらい、心配され

行く先でも友達に頼りきり妙な駄々をこねて迷惑をかけてしまった

 

当時はわからなかったけど沢山の人に守られたから私は傷一つつかずに帰宅することができたことが今になってやっと理解出来る

 

人から優しくされたり、大切にされている最中はそれに気づけないって なんて愚かなんだろう

 

振り返ってはじめて気づくことができる

そういう類の優しさが、本物の優しさなんだろう

 

 

 

笑いと暴力性

こんにちは

 

今日は日曜日ですね、この時間は皆さんはどこかに遊びに行かれてる最中ですか

 

いい一日をお過ごしくださいね

 

また、用事を終えた方はお疲れ様です

 

 

笑いって難しい

 

 

私は人を笑わせるのが大好き

お喋りをして、人を笑顔にさせるのが何より楽しいし 笑ってくれるのが一番嬉しい

 

でも 「笑い」や「楽しい」って、常に暴力性も併せ持っているなと思うんです

 

「いじり」と「いじめ」が一文字違いになってるように、双方はとてもよく似ている

 

 

「いじり」はお互いにリスペクトがあって愛や思いやりも備えつつじゃれあうもの

 

でもそこに愛も思いやりも無くなったら、それはただの「いじめ」だなって

 

 

 

昔、学校に居る時に周りの環境に早く馴染みたくて なんとか仲間に入りたくて

 

私は自分自身を卑下したいわゆる「自虐ネタ」で笑いをとってました

 

誰も傷つけることはないし、何より皆が笑ってくれるから

 

最初は皆笑ってくれて 友達の輪にも入れてそりゃあ楽しかったです

 

 

でも段々おかしくなっていって

 

私が自虐すると、皆が同調して いやむしろもっと私を卑下するようになっていきました

 

そりゃそうですよね

 

私が自分を粗末にする様を皆に見せて笑いに変えてるんですから

 

周りだって私を粗末に扱いますよね、だって私自身が自分を粗末にしているんだから

 

いつしか私は「何言ってもいい人」になってました

 

楽しい時も 真面目な時も 落ち込んでる時も

私は周りからいじられ続けて 馬鹿にされて

 

 

結論から言うと学校には行けなくなりました

あ、そのあとちゃんと通いましたよ時間かかったけど

 

この時から

 

・自分を粗末にしたら周りは自分を大切にはしてくれないこと

・楽しいを優先すると人は暴力的になること

 

この2つを学びました やっと

 

 

「楽しいからいいじゃん。ノリじゃん」を押し付けるような人にはなりたくないなぁ

 

はしゃいで、調子に乗っていても周りに気を配れる人になりたい

 

10人が笑っていても 1人が寂しそうな顔をしていることに気づけるようになりたい

 

気づいても面倒だから無視、だけはしたくない

 

あの時の私みたいな気持ちにだけは 絶対

 

 

今、私の密かな誇りは誰も傷つけることなく人を笑わせられることです!

 

もちろん、自分のことも